隠し味を見抜く力

最近の工作機械は進歩が目覚ましく、複雑な加工をいとも簡単に行ってしまいます。

当社にもここ数年、自動制御できるCNC工作機械が増えてきました。そんな中、思いもよらない問題が浮上して、あらためて職人の重要性を認識する事がありました。

例えば穴加工を行う場合、手動で加工をしていた時代はドリルの刃が悪いと加工が思うように進まなくなるため、職人の育成は、まずドリルの刃を研ぐ技術を身に付けることから始めます。そして、まともに刃を研ぐことが出来るようになって初めて機械をさわらせてもらえるようになりました。

ところが、現在の工作機械はパワーがあるので多少刃の状態が悪くなっても加工を行えます。また、刃を自動で研ぐ機械も導入した結果、誰でも機械を動かす事が出来るようになりました。

ただ、そこに落とし穴がありました。

悪い刃で加工を行うと機械に負担がかかります。機械は「苦しい…」とは言わないので、いずれ故障します。また、それに伴い精度も狂い始めます。

以前、穴ズレのクレームが発生した際に機械の故障が原因だと考えていました。ただ、あまりにも頻発するので最初の工程から見直したのですが、それでも原因がわかりません。そこで、たまたま職人の一人がドリルの自動研ぎ機を確認した際に設定がズレて刃がキレイに研げていない事が分かりました。要するに作業者が刃の状態の悪さに気付かず、そのまま加工を行っていたのです。

今の時代、職人がいなくても作業はできます。

ただ、職人がいなければモノの良し悪しがわかりません。

その損失は、会議室ではわかりません。

加工の隠し味を見抜ける人が現場には必要です。

リアルなカオス

三国志を題材とした蒼天航路という漫画の中で主人公の曹操が荀彧にこう尋ねるセリフがあります。

「(あなたが)推挙する人材に盗賊の類が混じることはあるか?」(292話 春節の轍)

なかなか深い言葉のため荀彧は苦悩するのですが、これは企業においても同じだと思います。

弊社には昔から不思議な文化があります。

「来るもの拒まず、去る者追わず」

誰かの紹介で弊社に入社したいと言っている人は拒まず、逆に他にやりたい事を見つけて去って行く人は追わないと言う文化なのですが、その結果、弊社の社員の7割近くは誰かしらの紹介で入社した社員となっています。

先週末、約3年ぶりに新入社員歓迎会を開催しました。

3年ぶりという事で対象者が6人になったのですが、その内5人は社員からの紹介です。

逆に去る人がほとんどいないので、この数年で2割以上社員が増えています。

ちなみにそのような採用なので、国籍・性別・年齢・学歴・経歴などはバラバラです。もちろん、能力にもバラつきがあります。

大事なことは、それぞれの能力を尊重して、お互いを人として認め合えるかどうか。

例えば、スポーツをやるにしても裏方で支える人達がいなければ試合になりません。仕事も全く同じで、スポットライトにあたる人やそれを支える人など能力に見合った役割があり、それぞれの役割を尊重し合うことで各人が仕事にプライドを持てるようになり、良い仕事に繋がります。

という事で、採用に関して重視する事は、それが出来るかどうか。能力は二の次です。

ただ…我が社には個性豊かな変わり者がよく集まります。(笑)

技能実習制度の限界

先日、日本経済新聞に技能実習制度の見直しに関する記事が載っていました。

2023.4.10 技能実習「廃止」提言へ 政府会議、外国人材確保に転換

弊社でも2009年から技能実習制度を活用していましたが、弊社が目指す理念と制度の在り方に矛盾を感じたため、2021年の最後の実習生の帰国をもって活用を完全に停止しました。

2009年、初めて仲間に加わった実習生達は3年後に祖国へ帰って一旗揚げる心意気がかなり強く、仕事にも貪欲で、覚えられる技術は何でも覚える勢いでした。当時、そのような若者は(日本には)なかなかいなかったので、こちらもかなりの刺激を受けたことを覚えています。

しかしながら、それから数年経ち、何度かメンバーが入替る過程で、その熱さは失われていきました。

それは日本に来る実習生達の気持ちが変わったからなのかも知れませんし、弊社がそれを提供できなかったからなのかも知れません。

いずれにせよ、ただの人員補充の形で実習生を受け入れることに矛盾を感じて、この制度そのものを活用する事を停止しました。一時期は外国人そのものを採用する事を避ける事もありましたが、彼らから得た事が多くあったのも事実です。結果、採用する基準を狭めることなく、国籍・性別・年齢等は一切関係なく、「あくまで自分達と同じ方向を見てくれる人達」としました。

現在、弊社ではミャンマーやベトナムからきた人達も正社員として働いています。

当たり前のことですが、彼達や彼女達の仕事内容や待遇は一緒に働く日本人達と全く変わりません。そして、彼達・彼女達の頑張りが周りの人達に大きな刺激を与えてくれています。

改めて、国や人種、性別や年齢に関係なく同じ目線に立って共に働く大事さを感じると同時にいつの間にか安い人材を確保する目的にすり替わってしまった技能実習制度の限界を過去に経験した立場として、この記事には思うところがたくさんありました。

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。

新型コロナウイルスの蔓延が始まってから3年が経ち、あらたな常識へと徐々に移行してきています。

しかしながら、この3年間で人々の活動方法は大きく変わりました。今後、元の状態に戻ることも多いと思いますが、根本的に変わってしまった事も多々あると思います。

それをどのように捉えて、どのように合わせていくのかが、今後を生きる私達の一つの使命になるでしょう。

これからも日々もがきながら、必死で生きていく事には変わりがないようです。

まだまだ至らないことが多く、もっともっと成長しなければならない私達ですが、本年もよろしくお願い申し上げます。

株式会社エーティーケー 社員一同

有と無

行動制限が解除され、あちこちの観光地に人が流れ込んだ盆休み。

皆さんはいかがお過ごしでしたか?

私は田舎への帰省も検討しましたが、なんとなく後ろめたい気持ちで帰省するのもどうかと思い、クーラーで涼みながら穏やかな連休を過ごす予定でした。

が…家族がそれを許してくれず、太陽が燦燦と照っている中でいざ出陣。

目的地は京都。

お盆を迎えた京都のお寺巡りをしてきました。

いくつか訪問した中で印象深かったのが建仁寺

ここへの訪問は3度目ですが、いつ来ても心が満たされるお寺です。

北門から入り受付を済ませて本坊に入るとまず待ち受けるのは、俵屋宗達によって描かれた風神雷神図(複製)。

ひと昔前にはテレビCMにもよく登場していたので知名度も高く、多くの人だかりが出来ていました。

本坊を出て次に向かったのが方丈と呼ばれる建物。

海北友松が描いた襖絵が緊張感のある空気をつくり出す部屋の前には枯山水の庭園がひろがり、人々の心を落ち着かせてくれています。

そこから少し離れた法堂には圧巻の世界が…。

ここへ入る前、子供達には合図をするまで下を向いているように念を押し、仏様の正面に立つと同時に合図をして上を見た瞬間、天井の双龍図に圧倒されて後ろ向きに倒れそうになっていました。(笑)

心の揺さぶりが激しい寺院ですが、全体的にはゆったりとした空気が流れており、気が付けばなんとなく涼しい気分に浸っていました。

視界に飛び込む情報がやたらと騒がしい昨今、モノクロの世界がひろがる禅寺の魅力を堪能してみるのはいかがでしょうか?

k.yamatani

古き良き時代?

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久しぶりに同い年の連れと映画館へレイトショーを観に行きました。

コロナもあって映画館へは足が遠のいていましたが、どうしても観たい映画があり、夜な夜な尼崎MOVIXへ!

タイトルは、「トップガン・マーヴェリック」!!

トップガン・マーヴェリック

未だ観ていない方には、一言だけ申し上げたい。

この映画は是非、映画館で観て頂きたい!

では、これ以下はネタバレになるので観てない方はご注意を。。

分かっていましたが、とにかくカッコいい映画です。

始まって早々、懐かしい音楽と空母から爆音でぶっ飛んでいく戦闘機のシーン。

開始5分で持っていかれましたね。

初代トップガンが放映されたのは1986年で約35年前の作品でしたが、(当時の私は小学生でしたが)はっきりと覚えています。

というか、何回再放送された事か…。

もともと、車やバイク、ミリタリーものが割と好きな方でしたので、観ている間は子供心をくすぐられ続けていましたね!

KawasakiのNinja900Rが出てきたときは震えましたね。 (;^ω^)

トップガン,Kawasaki,Ninja900R

ドッグファイトシーンは旧型と新型の争い。

そんな訳ないやろ、と突っ込みたくなる気持ちを抑えてF14を応援するオレ。

もうあかん!と思ってるところに、ほらキター!F18

お約束といえばそれまでですが、それでも十分興奮してドキドキわくわくの連続。

実は結構ストーリーも充実しててあっという間に過ぎた2時間でしたよ。

今年45歳になる小生。

トムクルーズには100回生まれ変わってもなれないですが、少しはカッコイイジジイになれるように努力したいなと、気持ちを若くさせてくれた映画でしたね!

最近は男も女も関係のない服であったり、中性的な男の子が多かったりと昭和生まれのオジサンにはついていけない好みではありますが、この映画を観たオジサンたちにもう一度、古き良き時代のカッコよさを取り戻してほしい!

と願うばかりです。

てことで、明日レイバンのサングラスとMA-1を買いにいこ!

で、10年後はポルシェのコンバチでも乗ろうかな!笑

Ⅿavrik.omuro

ウラ歴史(2020~2022年(現在))

2020年11月、新しく代表取締役に山谷啓司が就任致しました。新型コロナウイルスが蔓延し、経済が混乱する中でのトップ交代は、異例と言えば異例です。しかしながら、このような状態だからこそ、このタイミングでやっておかなければならない事がありました。それは、原点回帰です。

創業してから30年以上経過する中で、いつの間にか暗黙のルールや根拠のない作業、意志決定の複雑化など、無意味で理解不能な仕組みが所々に存在するようになっていました。それは様々な苦難を乗り越える過程で生まれた副産物のようなもので、その影響は社員それぞれの「働く意味」や「目指す方向性」も曖昧にしてしまっていました。そこで掲げたのが、当ホームページのトップページに載っている「Our purpose」です。

私達が事業を行う目的は、そこに関わる全ての人の「人間としての成長」を促す事。主役は設備ではなく人間。設備に何が出来るのかではなく、人として何が出来るのかを考える。と書くと最近の流行のように感じますが、実は単なる原点回帰です。

そのために意思決定の簡素化、給与体系および福利厚生の改革など様々な仕組みを整理し、その上で2030年に向けた目標と道筋を共有しました。

ここまでウラ歴史をご覧になった方はわかると思いますが、当社が今まで生き残って来れたのは偶然です。様々なお取引先様の御支援、市場の変化、社員の成長などが積み重なった結果であり、決して全てを計画的に行えて来たわけではありません。

そして、それを後世の社員達に伝えるためにこのウラ歴史を編纂させていただきました。後世の社員達が壁にぶつかった時、先人の行いを神格化せず、安易な手法に頼らず、目の前の課題と真っ直ぐに向き合ってきた我武者羅さを参考にしていただければ幸いです。

最後にいつも弊社を支えて下さっているたくさんの人達に感謝を申し上げて、ウラ歴史を一旦閉じたいと思います。

いつもたくさんの御支援ありがとうございます!!

今後ともよろしくお願い申し上げます。

ウラ歴史(2011~2019年)

少ロット多品種の受注が順調に増えていく中で一つの問題が浮き彫りになってきます。それは「横持ち」です。横持ちとは、工程から工程へ移る工程間の移動作業のことです。当時、当社では切断加工以外の加工をほぼ外注で行っていたため、複雑な加工(穴あけ・曲げ・溶接・溶断など)を行う際は、外注先へ材料を移動させる横持ち運搬が多発していました。これを解消するために取り組んだのが社内加工の拡充です。ところが、ここで「人・モノ・金」の壁が立ちはだかります。

当初、高価な工作機械を購入する資金もなく、職人を雇うほどの安定した仕事量もなかった為、まずは安い中古機械を購入し、自分達で加工にチャレンジすることから始めました。ただし、素人が加工を行うため「出来ること」と「出来ないこと」の区別が曖昧です。また自分達と年齢が変わらないような古い機械を購入していたために説明書が付属されていない事が多く、機械の操作方法も手探りな上に加工の許容スペックも全くわからないままでした。その上、研究開発をしてから受注活動を行う余裕は全くなく、「とりあえず受注してからやり方を考える」有様でした。結果、夜な夜なクラブ活動のノリでチャレンジを繰り返す日々が続きます。

そのような日々が続く中、「この加工、本当にできますか?」と不安そうに質問をするお客様が現れます。いつものノリで「できますよ!」と答えても「本当にできますか?」と返してきます。どうやら、それは通常の機械のスペックでは加工できないものでした。ところが、私達は説明書も読んだことのない素人です。オーバースペックな加工も機械を改造して出来るようになっていました。

その風習が「機械に合わせて仕事をする」のではなく「仕事に合わせて機械を使いきる」文化へと繋がります。今では中古機械を購入する機会が減りましたが、新規に工作機械を導入する際は当社仕様に改造してもらうのは当たり前。また意図する機械を販売していない場合は、自ら機械を製作することもありました。その結果、工作機械のスペックを使い切ることができ、他社では困難な加工も出来るようになっています。

チャンネルの鋭角(30°)切断 ※ロボットプラズマ溶断

そのような受注を続けているうちに「エーティーケーなら何とかするんじゃないか?」と言ったイメージが付き、お客様自身が出来るかどうかわからない加工の見積をどんどん当社に投げかけてきてくれるようになりました。仮にできない場合でも、加工できない理由を説明する事で仕様変更や設計変更に繋がり、場合によっては設計段階からご相談をいただく事例も出てきました。

この「とりあえずやってみる文化」は、その後の成長に大きな影響を与えます。ある時は某メーカーとの新製品共同開発。ある時はさわった事もない材質の材料加工。ある時はOEM生産引受など…。その都度、失敗を恐れずにチャレンジし続けた結果、2010年に設定した売上と利益の数値目標を1年前倒しで達成することができました。また、そのような雰囲気が社員のモチベーション向上に繋がり、離職率もほぼ0%になり、社員数も順調に増えてきました。

つづく

ウラ歴史(2009~2010年)

鉄パイプおよびステンレスパイプの販売店「ドットジェイ」

リーマンショックの到来によって物流が停滞し、パレット用資材の受注は激減しました。リーマンショックの到来は、私達を地獄の日々から解放する反面、将来への不安を突き付けてきました。

時をさかのぼること数年前、まだリーマンショックの足音すら全く聞こえていない頃、当社はネットショップ「ドットジェイ」を開店します。その発端は、ホームセンターを訪れた際に「なぜ、パイプはこれだけのサイズしか売っていないんだろう?」と思ったからです。私達は日々100種類以上のサイズのパイプを販売しています。ところが、そこにあったのはわずか数種類のサイズだけでした。

そこで「パイプを欲しいと思ったことはない?」と身近な人達に聞いて周りました。ところが、回答は「ない」が100%。ただ、DIYなどをした話を聞いた際に「そこにパイプを使えばいいんじゃない?」と提案すると「そうかも…」と答える人が多い事に気が付きます。要するにパイプの「需要がない」のでななくて、手に入らない前提だから「選択肢にない」ということでした。そこでダメで元々の軽いノリでショップを開店します。

すると、この店舗が予想以上の反響を得ました。今でこそ、様々な企業がネット上でパイプの材料販売を行っていますが、当時は当社の独占販売に近い状態でした。結果、ダメ元で始めた店舗が毎年150%以上の成長を続け、わずか数年で黒字化します。そして、この店舗の存在が、その後の当社の成長に大きな影響を与える事となります。

ネットショップを構築する過程で最も悩んだのが「価格設定」です。業界の慣習でもある相場価格に慣れ親しんでいた私達は、それまで値付けに悩むことがほとんどありませんでした。しかし、ネットショップの顧客は鉄のことを全く知らない人達です。業界の慣習に関係なく、「買ってもらえる価格」を提示しなくてはなりません。そのため、価格決定の思考をプロダクトアウト型からマーケットイン型へ反転させる必要がありました。「買ってもらえる価格」は、必ずしも低価格とは限りません。「価格=価値」もしくは「価格<価値」であることが需要です。恥ずかしながら、それまではそのようなことを考えた事もなく、逆にそれが普段の商売を見つめ直すきっかけとなります。

売上を確保するためにどのような仕事も引き受ける日々が続く中で、いつの間にか受注内容が少ロット多品種化していきます。それまでの流れであれば、手間暇がかかる少ない受注に振り回されてジリ貧になっていたのでしょうが、ネットショップ開設の経験を糧に少ロットでもきっちりと利益を得る方法を確立することが出来ていました。また、「今後は以前のような状態に戻ることはない」と考え、工場のレイアウトを量産対応型から少ロット対応型に変更します。このレイアウト変更は工場の中身を丸々90°回転させる大掛かりな変更でしたが、この時に工場移転時の反省とノウハウが活かされます。また、このレイアウト変更の経験がその後の「flexible layout system(*1)」を可能にしました。(*1 受注状況に合わせて工場内のレイアウトを柔軟に変更するシステム)

結果、リーマンショックの翌々年(2010年)には経常利益がリーマンショック前まで回復し、それまでとは全く違う形で事業が成り立つようになりました。

量産重視(左)から単品重視(右)にレイアウト変更

また、同時に危機感を募らせた20~30代の社員が中心となり、今後の成長に向けた10年計画を作成します。10年後(2020年)の売上目標を約2倍(2009年比)、利益目標を約10倍(2009年比)とする野心的な目標を実現するために3年毎にクリアするべきステージを設定して、レイアウトだけでなく、社内システム、顧客ターゲット、受注内容、加工レベル、品質意識など、ありとあらゆる分野を見直しました。

その意識改革が次のステップへと大きく繋がります。

つづく

ウラ歴史(2005~2008年)

西暦2000年を過ぎて世の中が21世紀の到来に慣れ始めた頃、中国の急成長を耳にするようになります。元々は1992年頃から始まったの経済の改革開放政策が発端でしたが、世界の工場として存在感を示し始めたのが、ちょうどその頃でした。とは言え、当時の中国では複雑で精度が必要な部材の製造は難しく、そのような部材は日本から送る必要がありました。そのため日本から中国の工場へ精密部品を運ぶための鋼製輸送用パレットの需要が激増します。

もともと当社は仮設資材の鋼管(足場管等)の切断加工を事業の柱として発足しました。創業から10年以上経過していた当時は仮設資材の切断加工をほとんど行わなくなっていましたが、大量の材料を捌くノウハウは残っていました。そこで大量に消費されるパレット用鋼管の切断加工の依頼が舞い込みます。その扱い量は現在の取扱量の3倍以上で、大型車が頻繁に納品と出荷を繰り返す状況でした。

至る所にあった出荷待ちの山

この荷動きが当社を救います。仕入れ窓口となる商社が消滅した状況で、この荷動きを支えるために造管メーカー主導で販売(仕入)窓口となる商社を立て、商流を確保する動きが形成されてきました。その結果、各メーカー毎の仕入れルートが確立され、リスクが分散されて仕入窓口の問題が一気に解消される事となります。同時にこの仕入窓口の分散は販売窓口の拡大をもたらしたため、当社にとっても都合の良いものでした。

反面、仕事は多忙を極めました。毎日、深夜まで作業をするのは当たり前。家に帰っても寝るだけの日々が続き、ほぼ思考停止状態。仕事の忙しさに変な充実感を感じつつ、納期に追われ逃げ場のない状況は私生活を無機なものにしていました。

ところが、その地獄のような日々が突然終わりを告げます。

リーマンショックの到来です。

つづく

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