ウラ歴史(2005~2008年)

西暦2000年を過ぎて世の中が21世紀の到来に慣れ始めた頃、中国の急成長を耳にするようになります。元々は1992年頃から始まったの経済の改革開放政策が発端でしたが、世界の工場として存在感を示し始めたのが、ちょうどその頃でした。とは言え、当時の中国では複雑で精度が必要な部材の製造は難しく、そのような部材は日本から送る必要がありました。そのため日本から中国の工場へ精密部品を運ぶための鋼製輸送用パレットの需要が激増します。

もともと当社は仮設資材の鋼管(足場管等)の切断加工を事業の柱として発足しました。創業から10年以上経過していた当時は仮設資材の切断加工をほとんど行わなくなっていましたが、大量の材料を捌くノウハウは残っていました。そこで大量に消費されるパレット用鋼管の切断加工の依頼が舞い込みます。その扱い量は現在の取扱量の3倍以上で、大型車が頻繁に納品と出荷を繰り返す状況でした。

至る所にあった出荷待ちの山

この荷動きが当社を救います。仕入れ窓口となる商社が消滅した状況で、この荷動きを支えるために造管メーカー主導で販売(仕入)窓口となる商社を立て、商流を確保する動きが形成されてきました。その結果、各メーカー毎の仕入れルートが確立され、リスクが分散されて仕入窓口の問題が一気に解消される事となります。同時にこの仕入窓口の分散は販売窓口の拡大をもたらしたため、当社にとっても都合の良いものでした。

反面、仕事は多忙を極めました。毎日、深夜まで作業をするのは当たり前。家に帰っても寝るだけの日々が続き、ほぼ思考停止状態。仕事の忙しさに変な充実感を感じつつ、納期に追われ逃げ場のない状況は私生活を無機なものにしていました。

ところが、その地獄のような日々が突然終わりを告げます。

リーマンショックの到来です。

つづく

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