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不便さが貴重になる時代

最近、若い人たちから「昭和がうらやましい」と言われることがあります。

少し前まで「昭和」というキーワードは、どちらかと言うとネガティブなイメージでしたが、最近のSNSの存在感やAIの劇的な進歩、常に監視されているような息苦しさ、フェイクと本物が入り混じった信用できない情報の氾濫など、それらがほぼなかった「昭和」と言う時代にあこがれる気持ちをわからなくもないです。

実はここ数回AIが勝手に情報を収集してブログを作成していたのですが、その見事さに感心しつつも何となく飽きてしまっている自分も感じています。その理由は、この程度のレベルのブログなら簡単に量産出来てしまうことに対する情報の希薄さに虚しさを感じてしまっているからかも知れません。

なぜなら「昭和」の時代は「知っている人」が勝つ時代です。情報の価値、人の繋がりの価値が今とは比べ物になりません。だから、人が動いた。仕事、遊び、旅行、賭け事…きっかけはなんでも良くて、とにかく人や情報や技術を知っている人が強かった。

今ではそれがスマホの画面におさまってしまった。でも実際は、そうではない。今でもリアルに知っている人は強い。でも、手軽に入る情報に依存する。そして、時間がないと言い訳をする。

ハッキリ言って「昭和」から「令和」になったからと言って1日が20時間になってはいない。そして、間違いなく「昭和」の方が無駄な時間の過ごし方をしていたので、時間がなかった。友人に連絡を取るだけでも四苦八苦していた時代である。

日々、友人達と何か面白いことがないかと考え、知識も技術もない中で調べるにも限界があるから、とりあえずやってみて失敗しながら体で覚える。ひたすらこの繰り返しの中で、知識と技術、そして一緒に馬鹿なことをやった友人達との繋がりが濃くなる。この無駄の繰り返しから生まれるのが、スマホの画面には表れない「深さ」だ。

若い人たちの中に「昭和」にあこがれを感じる人達が出てきたのは、その無駄の大事さを感じる人が出てきたからかも知れない。

ただ一つ言えるのは、「昭和」を生きた人達が自分達の世界を改善した先に今の時代があるという事。理想の先に正しい時代があるとは限らないが、今の時代を否定したとしても、いつかは同じ時代になるのだと思う。

だとしても、あの時代は「不便」で「無駄の塊」で「無茶苦茶」で面白かった。

※若かりし頃の思い出をひとつ。

廃車のシルビア(S13)をどこからか持ってきて、友人達と一緒に180SXのフェイスを入れ替えた事もは貴重な思い出のひとつ。今となっては「旧車」として崇められているから、なかなか挑戦できないだろうなぁ。(笑)