呼吸と血流

経営に関する本や雑誌を眺めていると数年毎に流行語のような言葉を目にすることがよくあります。ここ最近ではAIでしょうが、少し前ならメタバースでしょうか?

そのような媒体は、いかにもすぐに取り入れなければ時代に取り残されるかのように囃し立てますが、得てして流行は所詮流行なわけで、数年経つと全く耳にすることがなくなることもしばしばです。

そんな中の言葉の一つにコア・コンピタンスと言う言葉があります。リストラやリ・エンジニアリングなどの言葉が盛んに使われていた時期によく耳にした言葉です。別にこの言葉自体に流行の意味合いはなく、非常に重要な意味の言葉なのですが、何となく忘れ去られ気味になっているような気がします。

数か月前から弊社では切断業務の工程管理をクラウド化して、リアルタイムの作業工程をスマホやタブレットでどこからでも確認できるようにしました。その結果、改めて判ったことがあります。

それは弊社が受注している仕事の70%が1週間以内の短納期であり、且つ全体の70%が少ロット製品であると言うことでした。正直、弊社の受注内容に少ロット短納期が多いことは認知していましたが、まさかそこまでその割合が多いとは思っていませんでした。

それをこなすために現場で行われている事が、まさに弊社のコア・コンピタンスです。

通常、複合的な加工を行う場合は、ある程度一つ一つの工程の繋ぎの部分に多少の時間的余裕を設けるのが通常の現場です。それはトラブル発生時の調整に使うための時間でもあります。その隙間時間を極力なくした生産方式がトヨタ生産方式ですが、これは量産メーカーの計画生産だからこそできる事です。

弊社の場合、その隙間時間を無くす方法として特殊な環境が出来上がっています。面白い事にそれをやっている本人達は、自分達がやっている事の特殊性に気が付いていません。

工場内では加工を行う技術や機械を動かすオペレーション技術に脚光が当たる事が多いため、工程間を繋ぐ技術は無視されがちです。しかし、それが弊社のコア・コンピタンスであり、重要な文化の一つでもあります。

ケガをしなければ血液が体内を流れていることを意識する事はありませんが、血液が流れなければ臓器は機能しません。当たり前なことほど、見えない。そして、当たり前だからこそ大事なことがあります。

価値の可変と不変

昭和の時代に生まれた人達は、「よく勉強して、いい学校へ入って、いい会社へ就職する」ことが、生きていく上での勝ちパターンだと暗示をかけられながら育った人が多いと思います。ここで言う「いい学校」とは偏差値の高い学校であり、「いい会社」とは大企業をさしていました。

ところが、バブル崩壊後の経済の低成長と社会構造の変化の中で「いい会社=大企業」の公式はジワジワと崩れてきました。特に最近は、大企業とは対極にある個人事業主としての成功を目指す若者の声をよく聞きます。そう言った意味では「集団」よりも「個性」を重視した教育改革の結果が反映されるようになってきたのかも知れません。

そして、今「いい学校」の定義が崩れかけています。それは大規模言語モデル(LLM)をベースとしたAIの急激な進化が背景にあります。今や難関校の入試の上位10%以内に入ることも可能になったと言われていますが、それにより「いい学校」を偏差値で測ることが難しくなる可能性が出てきました。そこで困るのが学校側です。何をもって受験生が集まる学校にしていくのか?何をもって受験生を選別するのか?そして、何を教えるのか?など、非常に難しい課題を突き付けられることになりそうです。

教育が変われば、社会も変わります。社会が変われば、働き方も変わります。将来、AIと共存して成長した人達は、今の時代を生きる我々とは全く違う価値観になるでしょう。

ただ、この変化を心配しても無駄なことです。馬車が走り回っている時代を自動車が変え、そろばんで計算していた時代をコンピュータが変えたように便利なものは黙っていても普及します。

結局のところ、「いい人」である事が時代の変化を生き抜いていくのに一番必要な事なのかも知れませんね。

隠し味を見抜く力

最近の工作機械は進歩が目覚ましく、複雑な加工をいとも簡単に行ってしまいます。

当社にもここ数年、自動制御できるCNC工作機械が増えてきました。そんな中、思いもよらない問題が浮上して、あらためて職人の重要性を認識する事がありました。

例えば穴加工を行う場合、手動で加工をしていた時代はドリルの刃が悪いと加工が思うように進まなくなるため、職人の育成は、まずドリルの刃を研ぐ技術を身に付けることから始めます。そして、まともに刃を研ぐことが出来るようになって初めて機械をさわらせてもらえるようになりました。

ところが、現在の工作機械はパワーがあるので多少刃の状態が悪くなっても加工を行えます。また、刃を自動で研ぐ機械も導入した結果、誰でも機械を動かす事が出来るようになりました。

ただ、そこに落とし穴がありました。

悪い刃で加工を行うと機械に負担がかかります。機械は「苦しい…」とは言わないので、いずれ故障します。また、それに伴い精度も狂い始めます。

以前、穴ズレのクレームが発生した際に機械の故障が原因だと考えていました。ただ、あまりにも頻発するので最初の工程から見直したのですが、それでも原因がわかりません。そこで、たまたま職人の一人がドリルの自動研ぎ機を確認した際に設定がズレて刃がキレイに研げていない事が分かりました。要するに作業者が刃の状態の悪さに気付かず、そのまま加工を行っていたのです。

今の時代、職人がいなくても作業はできます。

ただ、職人がいなければモノの良し悪しがわかりません。

その損失は、会議室ではわかりません。

加工の隠し味を見抜ける人が現場には必要です。

リアルなカオス

三国志を題材とした蒼天航路という漫画の中で主人公の曹操が荀彧にこう尋ねるセリフがあります。

「(あなたが)推挙する人材に盗賊の類が混じることはあるか?」(292話 春節の轍)

なかなか深い言葉のため荀彧は苦悩するのですが、これは企業においても同じだと思います。

弊社には昔から不思議な文化があります。

「来るもの拒まず、去る者追わず」

誰かの紹介で弊社に入社したいと言っている人は拒まず、逆に他にやりたい事を見つけて去って行く人は追わないと言う文化なのですが、その結果、弊社の社員の7割近くは誰かしらの紹介で入社した社員となっています。

先週末、約3年ぶりに新入社員歓迎会を開催しました。

3年ぶりという事で対象者が6人になったのですが、その内5人は社員からの紹介です。

逆に去る人がほとんどいないので、この数年で2割以上社員が増えています。

ちなみにそのような採用なので、国籍・性別・年齢・学歴・経歴などはバラバラです。もちろん、能力にもバラつきがあります。

大事なことは、それぞれの能力を尊重して、お互いを人として認め合えるかどうか。

例えば、スポーツをやるにしても裏方で支える人達がいなければ試合になりません。仕事も全く同じで、スポットライトにあたる人やそれを支える人など能力に見合った役割があり、それぞれの役割を尊重し合うことで各人が仕事にプライドを持てるようになり、良い仕事に繋がります。

という事で、採用に関して重視する事は、それが出来るかどうか。能力は二の次です。

ただ…我が社には個性豊かな変わり者がよく集まります。(笑)

技能実習制度の限界

先日、日本経済新聞に技能実習制度の見直しに関する記事が載っていました。

2023.4.10 技能実習「廃止」提言へ 政府会議、外国人材確保に転換

弊社でも2009年から技能実習制度を活用していましたが、弊社が目指す理念と制度の在り方に矛盾を感じたため、2021年の最後の実習生の帰国をもって活用を完全に停止しました。

2009年、初めて仲間に加わった実習生達は3年後に祖国へ帰って一旗揚げる心意気がかなり強く、仕事にも貪欲で、覚えられる技術は何でも覚える勢いでした。当時、そのような若者は(日本には)なかなかいなかったので、こちらもかなりの刺激を受けたことを覚えています。

しかしながら、それから数年経ち、何度かメンバーが入替る過程で、その熱さは失われていきました。

それは日本に来る実習生達の気持ちが変わったからなのかも知れませんし、弊社がそれを提供できなかったからなのかも知れません。

いずれにせよ、ただの人員補充の形で実習生を受け入れることに矛盾を感じて、この制度そのものを活用する事を停止しました。一時期は外国人そのものを採用する事を避ける事もありましたが、彼らから得た事が多くあったのも事実です。結果、採用する基準を狭めることなく、国籍・性別・年齢等は一切関係なく、「あくまで自分達と同じ方向を見てくれる人達」としました。

現在、弊社ではミャンマーやベトナムからきた人達も正社員として働いています。

当たり前のことですが、彼達や彼女達の仕事内容や待遇は一緒に働く日本人達と全く変わりません。そして、彼達・彼女達の頑張りが周りの人達に大きな刺激を与えてくれています。

改めて、国や人種、性別や年齢に関係なく同じ目線に立って共に働く大事さを感じると同時にいつの間にか安い人材を確保する目的にすり替わってしまった技能実習制度の限界を過去に経験した立場として、この記事には思うところがたくさんありました。

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。

新型コロナウイルスの蔓延が始まってから3年が経ち、あらたな常識へと徐々に移行してきています。

しかしながら、この3年間で人々の活動方法は大きく変わりました。今後、元の状態に戻ることも多いと思いますが、根本的に変わってしまった事も多々あると思います。

それをどのように捉えて、どのように合わせていくのかが、今後を生きる私達の一つの使命になるでしょう。

これからも日々もがきながら、必死で生きていく事には変わりがないようです。

まだまだ至らないことが多く、もっともっと成長しなければならない私達ですが、本年もよろしくお願い申し上げます。

株式会社エーティーケー 社員一同

有と無

行動制限が解除され、あちこちの観光地に人が流れ込んだ盆休み。

皆さんはいかがお過ごしでしたか?

私は田舎への帰省も検討しましたが、なんとなく後ろめたい気持ちで帰省するのもどうかと思い、クーラーで涼みながら穏やかな連休を過ごす予定でした。

が…家族がそれを許してくれず、太陽が燦燦と照っている中でいざ出陣。

目的地は京都。

お盆を迎えた京都のお寺巡りをしてきました。

いくつか訪問した中で印象深かったのが建仁寺

ここへの訪問は3度目ですが、いつ来ても心が満たされるお寺です。

北門から入り受付を済ませて本坊に入るとまず待ち受けるのは、俵屋宗達によって描かれた風神雷神図(複製)。

ひと昔前にはテレビCMにもよく登場していたので知名度も高く、多くの人だかりが出来ていました。

本坊を出て次に向かったのが方丈と呼ばれる建物。

海北友松が描いた襖絵が緊張感のある空気をつくり出す部屋の前には枯山水の庭園がひろがり、人々の心を落ち着かせてくれています。

そこから少し離れた法堂には圧巻の世界が…。

ここへ入る前、子供達には合図をするまで下を向いているように念を押し、仏様の正面に立つと同時に合図をして上を見た瞬間、天井の双龍図に圧倒されて後ろ向きに倒れそうになっていました。(笑)

心の揺さぶりが激しい寺院ですが、全体的にはゆったりとした空気が流れており、気が付けばなんとなく涼しい気分に浸っていました。

視界に飛び込む情報がやたらと騒がしい昨今、モノクロの世界がひろがる禅寺の魅力を堪能してみるのはいかがでしょうか?

k.yamatani

古き良き時代?

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久しぶりに同い年の連れと映画館へレイトショーを観に行きました。

コロナもあって映画館へは足が遠のいていましたが、どうしても観たい映画があり、夜な夜な尼崎MOVIXへ!

タイトルは、「トップガン・マーヴェリック」!!

トップガン・マーヴェリック

未だ観ていない方には、一言だけ申し上げたい。

この映画は是非、映画館で観て頂きたい!

では、これ以下はネタバレになるので観てない方はご注意を。。

分かっていましたが、とにかくカッコいい映画です。

始まって早々、懐かしい音楽と空母から爆音でぶっ飛んでいく戦闘機のシーン。

開始5分で持っていかれましたね。

初代トップガンが放映されたのは1986年で約35年前の作品でしたが、(当時の私は小学生でしたが)はっきりと覚えています。

というか、何回再放送された事か…。

もともと、車やバイク、ミリタリーものが割と好きな方でしたので、観ている間は子供心をくすぐられ続けていましたね!

KawasakiのNinja900Rが出てきたときは震えましたね。 (;^ω^)

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ドッグファイトシーンは旧型と新型の争い。

そんな訳ないやろ、と突っ込みたくなる気持ちを抑えてF14を応援するオレ。

もうあかん!と思ってるところに、ほらキター!F18

お約束といえばそれまでですが、それでも十分興奮してドキドキわくわくの連続。

実は結構ストーリーも充実しててあっという間に過ぎた2時間でしたよ。

今年45歳になる小生。

トムクルーズには100回生まれ変わってもなれないですが、少しはカッコイイジジイになれるように努力したいなと、気持ちを若くさせてくれた映画でしたね!

最近は男も女も関係のない服であったり、中性的な男の子が多かったりと昭和生まれのオジサンにはついていけない好みではありますが、この映画を観たオジサンたちにもう一度、古き良き時代のカッコよさを取り戻してほしい!

と願うばかりです。

てことで、明日レイバンのサングラスとMA-1を買いにいこ!

で、10年後はポルシェのコンバチでも乗ろうかな!笑

Ⅿavrik.omuro

ウラ歴史(2020~2022年(現在))

2020年11月、新しく代表取締役に山谷啓司が就任致しました。新型コロナウイルスが蔓延し、経済が混乱する中でのトップ交代は、異例と言えば異例です。しかしながら、このような状態だからこそ、このタイミングでやっておかなければならない事がありました。それは、原点回帰です。

創業してから30年以上経過する中で、いつの間にか暗黙のルールや根拠のない作業、意志決定の複雑化など、無意味で理解不能な仕組みが所々に存在するようになっていました。それは様々な苦難を乗り越える過程で生まれた副産物のようなもので、その影響は社員それぞれの「働く意味」や「目指す方向性」も曖昧にしてしまっていました。そこで掲げたのが、当ホームページのトップページに載っている「Our purpose」です。

私達が事業を行う目的は、そこに関わる全ての人の「人間としての成長」を促す事。主役は設備ではなく人間。設備に何が出来るのかではなく、人として何が出来るのかを考える。と書くと最近の流行のように感じますが、実は単なる原点回帰です。

そのために意思決定の簡素化、給与体系および福利厚生の改革など様々な仕組みを整理し、その上で2030年に向けた目標と道筋を共有しました。

ここまでウラ歴史をご覧になった方はわかると思いますが、当社が今まで生き残って来れたのは偶然です。様々なお取引先様の御支援、市場の変化、社員の成長などが積み重なった結果であり、決して全てを計画的に行えて来たわけではありません。

そして、それを後世の社員達に伝えるためにこのウラ歴史を編纂させていただきました。後世の社員達が壁にぶつかった時、先人の行いを神格化せず、安易な手法に頼らず、目の前の課題と真っ直ぐに向き合ってきた我武者羅さを参考にしていただければ幸いです。

最後にいつも弊社を支えて下さっているたくさんの人達に感謝を申し上げて、ウラ歴史を一旦閉じたいと思います。

いつもたくさんの御支援ありがとうございます!!

今後ともよろしくお願い申し上げます。

ウラ歴史(2011~2019年)

少ロット多品種の受注が順調に増えていく中で一つの問題が浮き彫りになってきます。それは「横持ち」です。横持ちとは、工程から工程へ移る工程間の移動作業のことです。当時、当社では切断加工以外の加工をほぼ外注で行っていたため、複雑な加工(穴あけ・曲げ・溶接・溶断など)を行う際は、外注先へ材料を移動させる横持ち運搬が多発していました。これを解消するために取り組んだのが社内加工の拡充です。ところが、ここで「人・モノ・金」の壁が立ちはだかります。

当初、高価な工作機械を購入する資金もなく、職人を雇うほどの安定した仕事量もなかった為、まずは安い中古機械を購入し、自分達で加工にチャレンジすることから始めました。ただし、素人が加工を行うため「出来ること」と「出来ないこと」の区別が曖昧です。また自分達と年齢が変わらないような古い機械を購入していたために説明書が付属されていない事が多く、機械の操作方法も手探りな上に加工の許容スペックも全くわからないままでした。その上、研究開発をしてから受注活動を行う余裕は全くなく、「とりあえず受注してからやり方を考える」有様でした。結果、夜な夜なクラブ活動のノリでチャレンジを繰り返す日々が続きます。

そのような日々が続く中、「この加工、本当にできますか?」と不安そうに質問をするお客様が現れます。いつものノリで「できますよ!」と答えても「本当にできますか?」と返してきます。どうやら、それは通常の機械のスペックでは加工できないものでした。ところが、私達は説明書も読んだことのない素人です。オーバースペックな加工も機械を改造して出来るようになっていました。

その風習が「機械に合わせて仕事をする」のではなく「仕事に合わせて機械を使いきる」文化へと繋がります。今では中古機械を購入する機会が減りましたが、新規に工作機械を導入する際は当社仕様に改造してもらうのは当たり前。また意図する機械を販売していない場合は、自ら機械を製作することもありました。その結果、工作機械のスペックを使い切ることができ、他社では困難な加工も出来るようになっています。

チャンネルの鋭角(30°)切断 ※ロボットプラズマ溶断

そのような受注を続けているうちに「エーティーケーなら何とかするんじゃないか?」と言ったイメージが付き、お客様自身が出来るかどうかわからない加工の見積をどんどん当社に投げかけてきてくれるようになりました。仮にできない場合でも、加工できない理由を説明する事で仕様変更や設計変更に繋がり、場合によっては設計段階からご相談をいただく事例も出てきました。

この「とりあえずやってみる文化」は、その後の成長に大きな影響を与えます。ある時は某メーカーとの新製品共同開発。ある時はさわった事もない材質の材料加工。ある時はOEM生産引受など…。その都度、失敗を恐れずにチャレンジし続けた結果、2010年に設定した売上と利益の数値目標を1年前倒しで達成することができました。また、そのような雰囲気が社員のモチベーション向上に繋がり、離職率もほぼ0%になり、社員数も順調に増えてきました。

つづく