ウラ歴史(2000~2004年)

2000年6月、現在の地(大阪市此花区常吉)に移転しました。当時、移転を行うにあたって、3つの問題がありました。一つは資金がない。次に休業できない。最後に人手が足りない。

この問題を解決する方法は一つしかありません。社員総出の休日突貫工事です。さすがに一度に全部の工場を移転する事は出来なかったので、週末毎に各工場一カ所ずつ移転作業を行い、ひと月かけて全ての工場の移転を完了しました。ですが、移転に要した時間は実質6日間。在庫の移動、機械の設置、在庫置場のラック製作など、ほとんどの作業を自分達だけで行いつつ、業務も一切止めずに行われました。この夜逃げのような移転経験がその後に大きく活かされます。

新工場(2000~)

この移転に伴い、退職された方も数名いました。元々、定年退職した職人の方々を採用していたため高齢の社員が多く、大阪の東の端から西の端への移転は通勤を困難にしてしまいました。そのため移転先では職人の人数が半減し、営業人員が工場作業を兼務する必要が出てきました。この状態が営業と職人の壁を取り払い、「加工知識の共有」に繋がります。

また時間に追われながら作業を行うため加工時間にシビアになり、加工内容を時間に換算する習慣が植え付けられました。これが図面を見たただけですぐに加工費を算出できる「値付け技術」の習得に繋がります。同時に安価な材料の提案や加工方法変更による納期短縮やコストダウンなど「全体最適の提案」も徐々に出来るようになってきました。

そのようなバタバタした状況が数年続いた後、またもや危機が訪れます。それは当時盛んに言われていた商社不要論を背景にした商社の再編です。そして、その再編に当社の仕入窓口となっていた商社が巻き込まれてしまいました。その結果、与信管理基準が変わり、当社と取引が出来なくなりました。そもそも仕入窓口の確保に四苦八苦していた財務状況でしたから、当然と言えば当然です。

このままでは仕入が出来ずに潰れてしまいます。しかしながら、私達は敢えて替わりとなる商社を探す事はせず、自然の流れに任す選択をしました。

その背景には、隣国の急成長が関係していました。

つづく

ウラ歴史(1987~1999年)

1987年に創業した株式会社エーティーケーは、今年35周年を迎えます。

そこに至る経緯は沿革のページにてご紹介させていただいていますが、実態はそれほどキレイな歴史ではなく、紆余曲折に満ちたものでした。

3名で始めた企業も30名近くの社員を抱える規模となりましたが、現在在籍する社員のほとんどが在籍年数10年以内と短く、過去の経緯を詳しく知る人も少なくなったので、先日、改めて株式会社エーティーケーの歴史を振り返る時間を設けてみました。

以下は、その際に語られた話です。

1987年に秋山壽一が東大阪市水走に創業した当時、本社工場は母材在庫(6m)と切断機を置くと4tトラックがギリギリ入るスペースしかない小さな工場(約150㎡)でした。10tトラックが納品に来た際には、車体が倉庫を飛び出して目の前の道路(中央大通り)を一部封鎖してしまうため、もれなく交通整理もセットの作業となっていました。また、その工場の横に設置された簡易プレハブが当時の本社事務所でした。そのプレハブは、現在、現場事務所として使用されています。

その後、着々と取扱量が増えていくなかで本社工場だけでは仕事を消化することが出来なくなり、第2工場・第3工場と増設していきます。ただ、当時は手元資金が少なかったため、借りる事ができた倉庫は非常に使い勝手の悪い特殊な形状の倉庫ばかりでした。

そのような状態で10数年経過した頃、最初の倒産危機が訪れます。当時、売上は順調に計上していましたが、作業効率が悪いため生産性が低く、利益の確保に苦慮していました。その上、最も頭を悩ませていたのが仕入です。資産がほとんどない状態から創業したため企業としての信用が低く、仕入窓口となる商社の確保のために複雑な商流を使わざるを得ない状況でした。その結果、自転車操業の状態が10年以上続きます。また当時はバブル崩壊後の銀行の苦境もあり、金融機関の引き締めが非常に厳しい時期でもありました。そのため、銀行側から融資を断られる状況に陥ってしまったのです。

そのような苦境の中、ある取引先の社長に銀行との橋渡しをしていただき、何とか一命をとりとめる事ができました。しかしながら、このままでは何も解決せず、ただの延命処置に過ぎません。そこで事業の効率化を目指して3つの工場を集約するための移転を決意します。

つづく

北京オリンピック

なんとなくひっそりと始まった北京オリンピックも終盤を迎えようとしています。

新型コロナが蔓延する中での開催は参加するアスリート達に様々な負担を強いるだけでなく、主催する人達にも大きな負担をかけていると思います。それだけに開催する意義が問われることを東京オリンピックを開催した日本の人達も肌感覚として感じるのではないでしょうか?

東京オリンピックと大きく違うところは、今回のオリンピックは政治的背景を無視できないという点です。米中の覇権争いや人権問題、ロシアとウクライナの問題など、平和の祭典とは程遠い話がオリンピックと並行して連日ニュースで伝えられています。オリンピックの開催期間中は争いごとを停止するという都市伝説で平穏を保っているように見えますが、オリンピックの終了が戦争開始のトリガーにならないことを祈っています。

ひと昔前は「参加することに意義がある」と言われたオリンピックですが、近年の日本のアスリート達の活躍を見ていると参加することだけに満足するのではなく「メダルを取りに行く姿勢」を強く感じます。オリンピックの舞台で自己ベストを更新する人達が多いのもその姿勢からくるのではないでしょうか? また、メダルに手が届かなかった人達にもそこにチャレンジした姿に感動を覚えます。思うように実力を出せずに悔しさを表す人、やり切った満足感に笑みを浮かべる人など反応は様々ですが、いずれにしてもチャレンジした姿に「おつかれさま」と言いたくなる人は多いのではないでしょうか?

アスリート達の姿を自分達に投影した時、まだまだやれていない事を実感させられます。メダルのような一つの形としての結果を得る事はなかなかありませんが、「くやしさ」や「満足感」を得られるチャレンジを忘れないようにしなくてはいけませんね。

k.yamatani

まだやってんの?

前回(2021、5月)ブログのGW自由課題で制御盤を作製しました。
「動くかどうか知らんけど(笑)」で終わったのですが
案の定、想定通りには動きませんでした。
まあ、ここまでは想定の範囲内という事でここから原因究明の長旅が始まりました。

つなぎ方を間違っているのか?回路図が間違っているのか?
結局わからないのでとりあえずつなぎ方から検証しようと最初から組み直したのですがやはり「うごかん」・・・

という事は回路図がおかしい可能性が高い。
回路図を非常にシンプルな物に書き換えてTRY。
何とか動き出しました。
ただし一部を除いては・・・。

今回製作している機械は自動で動く切断機ですが調整する際に手動で動くことが不可欠になります。
しかーし、手動での操作が全く動かない(汗)ピクリともしない。

しばらく途方にくれ別の機械の回路図と見比べているとちょっとした違いに気が付いた。
「これか??」「これが必要なのか??」ってな感じで半信半疑でしたがやるしかない。

3度目の「最初からの組立」に取りかかりました。(季節は秋も終わろうとしてました。)
「いつまでやってんねん」と突っ込まれそうですが
そこからコツコツと組立、細かい変更をして12/29無事想定通りの動きをしてくれました。
やれやれです。

講習で制御の話を聞いたり、本を読んだりして理解しているようでしたがやってみると
全く思い通りにいかず、
知っている事と出来る事は違うというのを痛感する課題でした。

ちなみに機械はというと完成までもう少し。
ただいま安全カバーを製作中。後は電磁弁つけてエアークランプつけてスイッチつけて・・・・・・・まだまだ長旅は終わらないのでした。

t.urachi

謹賀新年

株式会社エーティーケー,鉄パイプ,ステンレスパイプ,各種鋼材,加工,販売

新年あけましておめでとうございます。

旧年中は価格の急激な高騰と材料確保に追われた一年になりました。

その環境がいつまで続くのかはわかりませんが、今年は少しは和らいでくれると良いですね。

社会的には環境問題にスポットライトが当たった一年でした。

世界中の国が環境対策に大きく舵を切った政策を発表し、製造業界はその影響を避けることができない状況になってきました。

実行期限も数年後に設定されていますので、各企業は事業モデルの転換が急務になりました。

当社もその影響を避けることができないでしょう。

とは言え、そのような環境になることは数年間からわかっていたことです。

当社としては数年前から進めている改革を粛々と進め、お客様に必要とされる企業であり続ける努力を継続するだけです。

本年も社員一同、お客様の期待にお応えできるように切磋琢磨し合いながら精進していきますので、よろしくお願い申し上げます。

株式会社エーティーケー

映画鑑賞

こんにちは。

普段、時間があるときは映画を借りて家で見たりしてるのですが、最近、家の中で大画面で映画を見たいな~と強く思うようになり、プロジェクターを探しておりました。

今回手頃な値段で、いいなあと思ったのがあったので購入。

『Faminode プロジェクター』こんな感じです。

プロジェクターを選ぶ際に、明るさの単位『ルーメン(lm)』というものがあるのですが、この数値が高いほど発する光が明るいです。

明るさは100ルーメンから10000ルーメンを超えるものまでさまざまあります。

必要な目安は…

3000~  明るい部屋でもくっきり投写できる。

3600~  外光が差し込んでもはっきり見える。より広めの会議室でも対応できる。

4200~  大きい会場で大画面で映し出せる明かるさです。

6000以上でホール・講堂・大ホールで対応できる明るさです。

ちなみに今回購入したプロジェクターですが、10000ルーメンです。

プロジェクタースクリーンは72インチくらいです。

(部屋の電気をつけた状態です。)

(部屋の電気を消した状態です。)かなりくっきりきれいに見えます。

音も思っていたよりきれいに聞こえます。

ホーム画面はこんな感じです。

Wifi / Bluetooth/USB 搭載でパソコンやスマホなどに接続して楽しむことができます。

家で、映画館の雰囲気を楽しみたい方おすすめです。

ほかにも年末やアウトドア、タイミングが合えばいろいろな場面で活躍できそうですね。

仕事の面でもいろいろな場面で活躍できるように精進したいと思います。

これから、明るい未来が待っていると期待して頑張りましょう。

それでは!

N・Yamaguchi

秋を満喫

秋を感じたいので、家族で紅葉を観に丹波篠山にやって参りました。

色づき加減は8割でしたが、やっぱ秋の紅葉は癒されます(^^)

紅葉見物だけでは子供が満足しないので、丹波の立杭焼陶芸も試みてみました。

僕自身もかなり久しぶりで、正直何もアイデアが浮かばない自分に情けなさを感じつつ、子供の制作を見ていると、考える間もなくおよそ5分くらいで1個目を完成させ瞬く間に3品作り上げていました。

脳みその柔らかさがこんなにも違うと、大人って経験で偉そうな事言う割に、1から物を作ったり考えたりする能力は子供には適わないと痛感しました^^;

仕上がりが楽しみです。

さて、少し時間もあったので嫁が北欧のデザイン展が近くの美術館やっていると言うのでこちらもお邪魔しました。(どうやらこれが目的だったようで…)

マリメッコやイッタラと耳なじみのデザイン展が丹波篠山の美術館に展示しているのはとても新鮮で癒され度がマックスになりました。

ちなみに兵庫陶芸美術館の「虚空蔵」ってレストラン。生パスタ最高に美味かったです(^^♪

芸術と食欲の秋。 秋って最高ですね!

M.Omuro

ヒロセオ-トキャンプ

ヒロシです

緊急事態宣言中では無いので、7/22 23 24 二泊三日で、福井県高浜市にキャンプに行ってきました。本当は三泊四日でしたが、25日が長女の林間学校と重なってしまったので短縮。ヒロセキャンプ場、今回二回目です。一回目は花火大会に合わせて行きましたが、今年は花火大会はコロナで中止でした。そして対策の為、テントも1サイト飛ばしでした。少し安心です。広いし、ゆったりしております。

小生は5時起きし、そして車への積み込みです。この作業は未だに嫌いです。自宅から約3時間で到着。 本当に暑い・・・。 しかしなにはともあれ、まずは腹ごしらえ! 現場のK川さんからいただいた、青プラスチックのテーブル+椅子セットで。これは夏キャンプでは必須です。濡れていても大丈夫なので。

昼食後、みんなでテントを設営し、妻だけ残し、3人でいざ目の前の砂浜へ! すごく澄んだ水!!  美しい!!! また来てよかった。遠いけど・・・。車運転嫌いです。

スノ-ケリングしていると、すばしっこい小魚や、カニや綺麗な石や、いろんな色のガラス破片が見えます。波の少ない穏やかな海です。 気持ちいい、超気持ちいい。何時間でも見ていられます。                                     

晩飯は牛肉、豚バラ、焼鳥、シシャモ、手羽先。そしてよく冷えたキンキンの一番搾りと、サントリ-★と、スーパ-ドライ。いつもは第三?ですが・・・。最近は食後の洗い物は子供たちがやります。

翌朝は4:30起床。長女とキス釣りに、長男は起きず・・・。エサは昨日近くの釣具屋で買った石ゴカイ。ちゃんとクーラ-で保管(やり方YouTubeで調べた)していたからなかなか元気です。 だけど長女は触れないと。自分で出来ないなら別エサもあります(写真) 本命のキス、ガッチョ、チャリコ、ガシラも釣れました。戻って焼きました。やっぱり美味しい! ベーコンも焼いて、今朝はお茶漬+漬物。このイワタニのカセットコンロ優秀です。炭起こさんでイイから早いし楽。このクーラ-BOXは高かったけど素晴らしい。氷解けません。すごく重いけど・・・。 

                                    

そしてまた海へ。そうこうしていると場内アナウンスが。車で冷たいもの売りにきましたよ、と。子供はすぐに反応。けずりいちご600円、フロ-ズンいちご500円也・・・。

晩ごはんの食材を買いに近くのス-パ-に行きました。サザエ、大アサリなど海の幸購入。 戻ったら着替用テントに、ナナフシ?が。初めて実際に見ました。嬉しかった。

久しぶりに捕まえたギンヤンマ。うるさいほどのセミの声、真っ青な広い空、とても大きな濃い白の入道雲、どこかで何かを焼いている音やにおい。楽しそうな元気な声。真夏のキャンプはすごく暑いけど大好きだ。我が家の子供たち、長女5年、長男2年、妻〇〇才は、いつまで小生と一緒にキャンプに行ってくれる?のかなぁ。

キャンプ歴5年、ヒロシでした。                                  

追伸                                        長男が帰ってすぐに、楽しそうに夏休みの宿題の日記を書いてました。

癒し…

お久しぶりです。

私事ですが、今年の1月から兄妹猫との新生活が始まりました。当初は1匹の予定でしたが、保護猫サイトの兄妹での写真に一目惚れし2匹一緒に引き取ることを決意。掲載されていた写真はもうないですが、保護主さんから送られてきた写真がこちらです。

右が兄、左が妹です。この時で生後4~5ヶ月程ですが、妻も私ももうメロメロで…

この子達は門真の工場で保護されたとの事。妻も幼少期に門真に住んでいた為、何かの縁があったのかもしれません。

我が家に来た当初は警戒心MAX。保護主さんがキャリーバックから出してゲージに入れてくれたのですが、大暴れし保護主さんの手をひっかいて流血騒ぎ。保護主さんが必死で「普段はおとなしい子たちなんです。」とフォローしていたのが面白かったです。             2日間程ゲージの中にあったテント型の寝床に2匹で隠れ、一向に姿を見せなかったのですが、おもちゃで釣る等してやっと姿を現すようになりました。

その時の写真がこちら👇

まだまだ警戒心MAX状態でした 笑。

兄猫は徐々にご飯やおやつで釣ることで私たちに慣れてきたのか触らせてくれるようになったのですが、妹猫は警戒心が非常に強く、ゲージから出ておもちゃで一緒に遊んだりするものの、触れようとすると威嚇しまくり…この子と触れ合うことは一生できないのではないかと思いました。それでも根気よくチュールを上げている隙に触ったりすると、妹猫も我々に気を許すようになったのか、触らせてくれるようになりました。(チュール恐るべし)

そして、今では兄猫よりも妹猫の方が甘えたがりな猫になり、妻をメロメロにしています。

彼らが我が家に来てから約半年。保護猫なので生まれた日は分からないですが、我が家に来た時で生後6ヶ月ぐらいだったので、勝手に7月7日を彼らの誕生日とし、ささやかながらお祝いをしました。

猫用のケーキを用意し、壁には写真のような飾りをつけました。(つけて3分程で一部剥がされましたが…笑 )

このコロナ渦で外出が減り、家にいる事が多くなったのですが、彼らのおかげで家にいる事が苦ではなく、また夫婦間の会話もさらに増えました。(決して夫婦関係がぎすぎすしていた訳ではないです 笑)。嫌なことがあっても彼らを見れば一瞬で元気になり、頑張ろうとやる気も出てきます。今や彼らのいない生活は考えられないほど私たち夫婦の癒しの存在です。

これからも永く一緒に暮らせるように頑張ろうと改めて思えた1日でした。

M.akiyama

新型コロナに気付かされたこと

先日、電話システムの主装置をクラウド化しました。

これだけ聞くとサッパリ意味が分からないと思いますが、簡単に言うと「ネット空間に電話の親機を置いた」と解釈していただければ結構です。その結果、専用の電話機をネットに繋げれば、どこでも子機として使用できるようになりました。当然、スマートフォンも専用のアプリを導入すれば、子機になります。つまりネット環境下にいれば、どこにいても会社にかかってきた電話を受信できるようになりました。同時に文字による伝達をチャットツールに置き換えました。また、受注処理システムはすでにクラウド化済みのため、どこにいても事務所にいる時と同様にほとんどの作業を行えるようになりました。

ただし、今回、変更を行った目的は「在宅勤務」をするためではありません。むしろ、その先を見据えて、脱「在」を行うためにシステム変更を行いました。

今回のコロナ環境下では、今までいかに場所に捉われていたのかを認識させられることが多々ありました。「わざわざ時間をかけて出勤する意味はあるのか?」「出張する意味はあるのか?」「みんなが同じところに集まる意味はあるのか?」など、様々な面に置いて移動と滞在の意味を問いかけるシーンが多かったと思います。反面、人間同士が接する意味も見直された気がします。

例えば、zoomなどで情報交換を行った際になんとなく味気ない感じになったことはないでしょうか?「雑談をやりにくい」とか「相手の雰囲気をつかみ難い」といった声を聞いたこともあります。そんな中、なんとなくムダの意味を考えるようになりました。「会社に社員が集まる事はムダなのか?」「受注に繋がらない会話はムダなのか?」「出張してまで遠くにいる相手の顔を見に行く事はムダなのか?」など、効率だけを考えれば排除した方が良いとされがちな内容についてです。

その結果、私達が導き出した結論は「ムダがあるから面白い」という事です。

以前放送されていた番組の「笑っていいとも!」で、タモリさんが出演者の笑いのパターンをひたすら邪魔する理由を「予定調和ばかりだとつまらない」とおっしゃてたそうですが、まさにお客さんと雑談する中で思いもよらなかったひらめきが生まれれば本望です。その時間を最大限確保するために場所や時間に縛られない環境構築をすることが今回の目的でした。

あとは新型コロナが落ち着くのを待つだけ。今回の事態では様々な障害に見舞われましたが、新たな気付きと行動をもたらしてくれた貴重な機会でもありました。

今回の「有効な非効率を生み出すための効率化」を活かして、次のステップに進みたいと思います。

k.yamatani