最近、新聞紙上を様々な不正問題が騒がしています。
東芝の会計データ偽装問題、フォルクスワーゲンの燃費データ偽装問題、東洋ゴムの耐震データ偽装問題、旭化成建材の工事データ偽装問題。
最近起こっている問題のほとんどが「データ偽装」です。
これらの「データ偽装」は、何のために行われたのでしょうか?
性善説で考えれば、おそらく「データ偽装」を行った人達が見ていたのは、自分自身や会社の体裁や上司との関係、取引先との関係です。
偽装を行った人達は、事の重大さよりも周りの環境を気にして偽装を行ったのではないでしょうか?
性悪説で考えれば意図的に会社に損害を与えるためにやったと考える事もできますが、損害の規模が大き過ぎます。
さすがに人生で背負いきれない規模の不正を敢えて行う人は、なかなかいないのではないかと思います。
となると、同じような不正は、どこで発生しても不思議ではありません。
特に組織管理が厳密な企業の方が可能性が高いかも知れません。
近年、企業コンプライアンスの強化の名のもとにあらゆるデータの収集と保管が行われるようになってきました。
それまでは(特に小規模・零細企業においては)、本当に必要なデータのみの提出を求められていましたが、現在では必要の有無に限らずに関わった仕事に関するデータの提出を求められる事が多くなっています。
この煩わしさは、提出する側だけでなく収集する側にもあると思います。
その結果、重要に扱わなくてはならない貴重なデータが不必要なデータと混同して扱われてしまい、その意味を薄めてしまっている事はないでしょうか?
提出する側もデータの必要性の軽重がわからないので、とりあえず提出することに重点を置きがちな側面も否定できません。
はき違えた企業コンプライアンスの影響で、「とりあえずデータを揃える」行為が一種の通行手形のように扱われている気がします。
データ偽装を行った人物の責任は当然大きいですが、それを行ってしまう環境を見直すことも重要ではないでしょうか?
昨今の不正事件のニュースを見ながら、データの意味を見直す必要があると感じました。
k.yamatani