価値の可変と不変

昭和の時代に生まれた人達は、「よく勉強して、いい学校へ入って、いい会社へ就職する」ことが、生きていく上での勝ちパターンだと暗示をかけられながら育った人が多いと思います。ここで言う「いい学校」とは偏差値の高い学校であり、「いい会社」とは大企業をさしていました。

ところが、バブル崩壊後の経済の低成長と社会構造の変化の中で「いい会社=大企業」の公式はジワジワと崩れてきました。特に最近は、大企業とは対極にある個人事業主としての成功を目指す若者の声をよく聞きます。そう言った意味では「集団」よりも「個性」を重視した教育改革の結果が反映されるようになってきたのかも知れません。

そして、今「いい学校」の定義が崩れかけています。それは大規模言語モデル(LLM)をベースとしたAIの急激な進化が背景にあります。今や難関校の入試の上位10%以内に入ることも可能になったと言われていますが、それにより「いい学校」を偏差値で測ることが難しくなる可能性が出てきました。そこで困るのが学校側です。何をもって受験生が集まる学校にしていくのか?何をもって受験生を選別するのか?そして、何を教えるのか?など、非常に難しい課題を突き付けられることになりそうです。

教育が変われば、社会も変わります。社会が変われば、働き方も変わります。将来、AIと共存して成長した人達は、今の時代を生きる我々とは全く違う価値観になるでしょう。

ただ、この変化を心配しても無駄なことです。馬車が走り回っている時代を自動車が変え、そろばんで計算していた時代をコンピュータが変えたように便利なものは黙っていても普及します。

結局のところ、「いい人」である事が時代の変化を生き抜いていくのに一番必要な事なのかも知れませんね。