8月6日は、世界ではじめて原子爆弾によって無差別に人命が奪われた日です。
「原子爆弾が投下された日」とすると、「投下した側」と「投下された側」それぞれの立場での賛否が出てしまって、ついつい「正義」の話になってしまうので、敢えて「無差別に人命が奪われた日」と書きました。
この一つの爆弾は、多くの人達の運命を変えてしまいました。
被害に合ってすぐに亡くなった方、生きながらえたものの後遺症で苦しんで亡くなった方、そして、今も後遺症で苦しんでいる方がたくさんいます。
また、直接被害に合わなかったけれども投下直後の被曝地域に救助に訪れた為に2次被曝された方もたくさんいたと聞いています。
そして、被曝の知識が乏しかったために自分達が2次被曝していたことに全く気がついていない人や偏見や差別を恐れてそれを隠していた人達もたくさんいました。
数年前まで、この日は自分にとっては「戦争の歴史の1ページ」に近い感覚でした。
広島に生まれ育ったので他の地域に暮らす人達に比べれば重たい1ページでしたが、戦後30年近く経ってから生まれた世代のためか若干昔話的な感覚は否めませんでした。
ところが、ある時、それがただの「歴史の1ページ」ではない事を思い知らされました。
数年前、私は父親をガンで亡くしました。
その際、原爆投下直後の被爆地に祖父が会社の仲間を助ける為に向かった事を伯父から初めて聞かされました。
祖父も叔母も同じ病気で亡くなっているので、伯父は原爆と無関係ではないのではないか?と思い、その話を私にしてくれました。
伯父自身もその話を戦後かなり経ってから聞かされたらしく、それ以上の詳しい話は一切教えてくれなかったそうです。
正直、祖父が被爆者の認定を受けていなかったので放射能の影響をどの程度受けていたのかはわかりません。
ただ、その時から「自分」と「この日」は無関係では無くなりました。
今回の選挙において、憲法改正の気運が大きく高まってきました。
日本の憲法は平和憲法と呼ばれています。
ただ、この憲法が制定された経緯を考えると、国民の意志が反映されたと言うよりは第2次世界大戦の戦勝国の意志が反映されたと言わざるを得ません。
しかしながら、戦勝国の「この国に二度と戦争をさせない」と言う意志は、奇しくも「二度と戦争をしたくない」と願う国民の思いを反映したものになりました。
おそらく政治を担う立場の人が作り上げた憲法であれば、全体的にバランスを取ったありきたりな憲法になっていたと思います。
このような平和に特化した憲法は、作ろうと思っても簡単に作れない特殊な憲法なのです。
最近、戦争に巻き込まれた人達がしきりに憲法改正反対のコラムを新聞に投稿しているのを目にします。
今の憲法を戦勝国から押し付けられた感覚は、むしろ、その時代の人達の方が強いハズですが、そんな事よりも戦争を否定する気持ちが強いのだと思います。
戦争は、時に「人命」よりも「勝利」と「正義」を優先します。
過去、人間は「正義」の名のもとに平時では考えられないような行為を平然と行って来ました。
そして、歴史は勝者が自らの正義を添えて書き残していきます。
しかし、「人命」に勝る「正義」など存在しません。
見栄や体裁に惑わされることなく、したたかに生き残る国であって欲しいと願います。
K.yamatani