先日、義兄に誘われて「一休寺」に行ってきました。
一休さんとして有名な一休宗純のお墓があるお寺ですが、
意外にひっそりとしているのには少し驚きました。
さて話は変わりますが、先週、「火天の城」と言う映画が公開されました。
以前、この映画の原作を読んだ際に、実際に安土城跡を訪れた事があります。
実際に現地に赴くと、伝えられている信長像と現地でイメージする信長像のズレを多少感じますが、
ほとんどの人が目にして驚いてイメージを共感するのは、石仏の石段ではないでしょうか?
この石仏の石段は、この地を治めていた六角氏を攻略して(安土城の築城の材料とする為に)六角氏の居城や菩提寺から集められた物だそうです。
その地で使う物をその地で補うやり方は兵法家らしいと言えばそれまでですが、
石仏を石段にしてしまう感覚は信長独特の感覚かも知れませんね。
さて、ここで最初の一休寺の話に戻ります。
この寺の奥にひっそりとたたずむお墓がありました。
よく見るとそれは信長から土地を追われ菩提寺を失った「六角氏」のものでした。
何気なく訪れた2つの場所で禅の世界の枠にとらわれず破戒僧と呼ばれた「一休」と、
戦国の世の常識を破壊して勢力を拡大した「織田信長」が「六角氏」と言う線でつながっているところに歴史の面白さを感じました。
普段の活動の中でも意図せずに2つの点と点がつながる事があります。
古い言葉で「無用の用」と言うものもありますが、
何でも一生懸命やっていれば思いがけず何かとコラボレーションする事があるかも知れませんね。
それも仕事の面白さの一つです。 by keyz