空気という意思

先週末(2024.11.17)に投開票が行われた兵庫県知事選挙は、様々なストーリーが交錯した劇場型の選挙として大きな注目を集めました。

結果として斎藤元知事が再選を果たす事となりましたが、そこに至った経緯が世間を賑わせています。

・特例で非公開で開催された百条委員会

・メディアの一方的な報道

・SNSによる様々なウワサの流布

基本的にネタ元は斎藤氏になりますが、彼自身が選挙中に行った演説ではこれらの話題にふれることなく、過去の県政の実績とこれからの県政に対する取り組みを真摯に語っていました。

逆に対抗馬となった稲村氏は上記の話題の渦中の人になってしまい、結果として負のイメージが強く出てしまいました。敗れた稲村氏が「誰と戦っていたのかわからなかった」と敗戦の弁を述べていましたが、個人的には彼女が世論の動きを把握できず、不用意に世論を敵に回す行動を取ってしまった事が大きな敗因の一つだと感じました。ある意味、彼女が世論の動きを的確につかんで斎藤氏と同じ立場に立ち、純粋に政策論争で戦っていれば結果は違っていたかもしれません。

また、同様にSNSを駆使して戦った東京都知事選の石丸氏との大きな違いは、斎藤知事がそれまで行ってきた県政を県民が認めていた事にあると思います。今回は特にワイドショー的な話題が表面に出過ぎていたのでSNSを不安視するニュースを多く拝見しますが、そもそも過去の県政が悪ければ県民は選ばなかったと思うので、その指摘は時世の流れを的確につかんで動く事が出来なかったメディアの言い訳に過ぎません。結果、自分達は正しいというポジションで有権者をバカにするような報道を続けたためにメディア自身が稲村氏と同じ過ちを犯してしまっている感じがしました。

結局、最終的に判断されるのは日々の行動の正しさ。

様々なフィルターが掛かった選挙ではありましたが、それを実感させられる選挙でした。